1.1 モサラベの道(Camino Mozaraábe)へ向けて
2011年4月にVia de la Plata(銀の道)をセビージャ(Sevilla)から歩きましたが、その際ガイドブックを見ているとアルメリア(Almeria)からモサラベの道がメリダ(Merída)で合流していることを知りました。その後はスペイン各地の著名な巡礼路を歩いていましたがスペイン南部のアンダルシアは最もスペインらしい風景と文化が残っている何時かは歩いてみたい道として考えておりました。
このVia de la Plata(銀の道)を歩いた際にメリダ( Merída)からの巡礼路で2人のスペイン人巡礼者と知り合い、その後、交流が続いていましたがその一人(Mikel)が定年を迎え日程的にも余裕が出来るようになった事から祝いを兼ねて3人でモサラベの道(Camino Mozarábe)を歩くことにしました。出発点としてはアルメリア(Almeria)やマラガ(Malaga)がある事を知っていましたが3人の交通の利便を考慮して集合しやすいグラナダ(Granada)から歩き始めることにしました。
1.2 歩いた行程と宿泊先
2018年9月29日にグラナダ(Granada)からスタートして10月17日にメリダ(Merída)へ到着しました歩いた行程(Etapa)と宿泊先について下記に示します。
2.1 グラナダ(Granada)からピノス・プエンテ(Pinos Puente)
2018年9月29日(日) 晴れ 19.0Km 34,733 歩
Catedral de Granada (08:10) ー Atarfe (09:20) ー AVE陸橋(11:30)
ー Pinos Puente (11:58)
モサラベの道(Camino Mozarábe)の起点は地中海に面するアルメニア(Almenia)ですが、今回は世界遺産のアルハンブラ宮殿のある都市で有名なグラナダ(Granada)からスタートする事にしました。
グラナダ(Granada)はアンダルシア州のシエラ・ネバダ山脈北麓のヘニル川(Rio Genil)流域の肥沃な平野に位置し、かつてはイベリア半島最後のイスラム王朝グラナダ王国の首都でイスラム王朝として約250年間存続し経済・文化が発展してきました。アルハンブラ宮殿はナスル朝時代に建設されイスラム建築の傑作として有名です。イスラム王朝は15世紀末にカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合王国となると、ナスル朝支配地への征服が始まり、1492年1月2日にグラナダが降伏してナスル朝は滅亡してレコンキスタが完了しました。現在はグラナダ県の首都で人口は約24万人で多くの観光客が訪れています。
グラナダ(Granada)からの出発地点はグラナダ大聖堂(Catedral)から南東へ1km程にあるサンティアゴ修道院(Convento de las Comendadataa de Santiago)ですが、出発の前日に見て来たので8時に友人のMikeとJavierと大聖堂前で待ち合わせて写真を撮り出発しました。 Renfeのグラナダ駅の北側のアンダルシア通り(Ave de Andalucia)を暫く歩き公園と大学(Univercidad de Granada Campas)があり、その横を抜けて住宅街へ入ります。 暫くすると道は行き止まって高速道路の下を潜り抜け廃道になった舗装道路を歩いて川沿いの道を通り公園(Parque de la Higueruela)を迂回して再び高速道路の下を通るとアタルフェ(Atarfe)の町へます。アタルフェ(Atarfe)の役場でスタンプを貰って役場前のバル(Bar)で暫く休憩しました。
アタルフェ(Atarfe)から国道(N430)を横断するとオリーブ畑が現れ始め、真っ直ぐな道になりますが前方からは騎馬に乗ったグループが来ました。やがてピノス・プエンテ(Pinos Puente)の街も見え初めますが30分程度で建設中のAVEの陸橋を渡ってピノス・プエンテ(Pinos Puente)の街へ着きました。
Albergueは川沿いの住宅街を登ったところの農家の倉庫を利用した建物で入口の案内に書かれた場所へ連絡して許可を得て入りました。
宿泊先:Refugio de Peregrinos (Donativo)
*この行程の注意事項、コメント
① グラナダ市内には矢印等の標識は見当たらりませんでしたが、大聖堂から1時間程度歩いた市街を出たか所で標識のポストを見つけることが出来ました。
②ピノス・プエンテ(Pinos Puente)のAlbergueは 入り口の門扉に連絡先の電話番号が記載されており、電話をして入室の説明を聞くことが出来ます。レストランは巡礼路を10分程度戻った国道(N430)沿いに数件あります。
グラナダ大聖堂前で | 川沿いの巡礼路 |
グラナダ郊外の巡礼路 | アタルフェ(Atarfe)から国道(N430) |
オリーブ畑 | ピノス・プエンテのアルベルゲ |
2.2 ピノス・プエンテ(Pinos Puente)からモクリン(Moclin)へ
2018年9月30日(月) 晴れ 13.4km 23,531歩
Pinos Puente (08:30)― Bucor(9:30)ー Olivares(11:00)ー Moclin (12:30)
昨日に泊まったピノス・プエンテ(Pinos Puente)の村に流れるグビージャス川(Rio Gubillas)に架かるピノス・プエンテ橋はイスラム時代から架かる橋でグラナダ(Granada)へ入る最後の要所としてキリスト教徒軍とイスラム軍の攻防の場所でもありました。またこの橋はコロンブス(Cristóbal Colón)大西洋からの西回り航路の遠征の提案が承諾を得られず、グラナダ(Granada)からフランスへ向けて旅立とうとしていた際にイサベル女王がフェルナンド2世を説き伏せて承諾の旨をコロンブスへ伝える使者が出され、この橋の上で使者が追い付いたとの歴史的な橋でもあり橋のたもとに記念碑もあります。
今日はモクリン(Moclin)まで13km程しか有りませんが次のアルカラ・リアル(Alcara Real)まで適当な宿泊先が無いのでMoclinまでとしました。昨夜泊まったアルベルゲから国道沿いのBarで朝食をとりピノス・プエンテ橋を渡って街へ入ると村の人が呼び止め村の歴史を説明してくれました。巡礼路は私が持っていたGPSトラックデータでは町中から北への農道を歩くようになっていましたが、新たな標識は国道(N430)から街を離れベリリョス川に沿った道路(DP-3408)を歩きます。前方には山並みが見え道路の両脇にはオリーブ畑が広がって幸いにも交通量は少ないので朝の爽やかな空気の中を気分よく歩けました。約3Kmの1時間程でブコール(Bucor)に着き一旦牧場のある農家の脇道にそれて再び道路に戻って横断してオリーブ畑の道に入りました。
道路(DP-3408)を対岸に見ながらオリーブ畑の中をしばらく歩くとオリバレス( Olivares)の村の入口のBarの前へ出ました。Barで暫く休憩して村の中を通り抜けて山道へ入ります。オリバレス(Olivares)からモクリン(Moclin)までの標高差は約400mですが車道ではなくハイキングコースの様な山道で標高が上がるに伴い素晴らしい景観が楽しめました。 久しぶりに山登りを楽しみながらオリバレス( Olivares)から約1時間でモクリン(Moclin)の村の入口に着きました。村にはAlbergueが有りませんが巡礼者用のHostalが有り3人部屋で18ユーロ/人で設備もよく快適でした。村の高台の頂上には13世紀にナスル朝の防衛に建設された城跡(Castillo de Moclin)が有ります。
宿泊先:Hostal Rural - Albergue Moclin
*この行程の注意事項、コメント
① ピノス・プエンテ(Pinos Puente)からオリバレス(Olivares)間には別のハイキングコースのルートもあると思われますが、ブコール(Bucor)経由の巡礼路には標識(矢印)もありこのルートが正しいと思われます。
②オリバレス(Olivares)及びモクリン(Moclin)にはBar及びレストランがあります。
Pinos Puente(ピノス・プエンテ橋) | 舗装道路を歩く |
Olivares(オリバレス)方面の山並み | Moclin(モクリン)へ登る |
Olivares(オリバレス)の眺め | Moclin(モクリン)の広場 |
2.3 モクリン(Moclin)からアルカラ・ラ・レアル(Alcalá la Real)へ
2018年10月1日(火) 晴れ 23.4Km 34,901歩
Moclin(08:15) ー N430道路(Parrales de Santa Maria)(9:25)ー Cequia(10:30)
ー N430道路(venta del Verdugo)(11:05)- Alcalá la Real(12:50)
やや暗い時間にホスタルを出発して村から下ると直ぐに洗濯場と水場(Fuente)が有りました。巡礼路は農道の様な山道で歩き易く前方の山間が見通すことが出来ました。やがて右手前方の岩山の頂上に塔が建っているのが判断できる様になりましたがこれは14世紀のナスル朝時代にに建設されたソラナの党(Torre de Solana)です。この塔はモクリン(Moclin)の西約20Kmにあるモンテフリオ(Montefrio)間の道路を監視する要塞であったとの事です。
しばらく歩くと一旦道路(N430)に出ますが直ぐにオリーブ畑の道へ戻りました。オリーブ畑の道は気分良く歩くことが出来ますが何処も同じ光景で方向感覚を誤る事があります。再び道路沿いへ出るとアルカラ・ら・レアル(Alcalá la Real)へ11km,コルドバ(Cordoba)へ127kmの道路標識がありました。 この付近にはオリーブ畑の山道に果樹も有りJavierさんがオレンジの様な果樹が実っている木をメンブリージョ(Menbrillo)と教えてくれました。後で食べて分かりましたがこの果樹を砂糖とレモンで煮詰めた(Dulce de membrillo ドゥルセ・デ・メンブリージョ)と言われてスペインでは有名です。やや酸味がありますが日本の羊羹の様でこの時期はスーパーマーケット等で売られています。
再び道路(N430)を歩いてセキュア(Cequia)の村へやや登ります。村にBarが有るのを期待していましたが休みで村の人から小さなスーパーが近くに有ると聞き立ち寄ってジュースなどを買って休みました。住宅街を少し下った所にはチーズ屋には巡礼者案内の看板がありクレデンシャルにスタンプを押してくれました。なだらかな道を下り道路を横断して農道を歩いて行くとサイクリングロードに出てアルカラ・ラ・レアル(Alcalá la Real)の街へ向かいます。約1kmこの程度で市内へ入ります。
アルカラ・ラ・レアル(Alcalá la Real)は軍事的要所として古くから重要な地で、デ・ラ・モタ地区がローマ時代に最初のローマ定住地となった痕跡が見られます。これがアルカラ・ラ・レアル(Alcalá la Real)の発祥と言われイスラムのウマイヤ朝時代に監視塔が建設されその後現在のアルカラ・ラ・レアル城(Castillo de Alcalá la Real)になりました。現在は人口約2万2千人でオリーブとサクランボ栽培が盛んな比較的大きな街です。この街にもAlbergueは無く巡礼者割引をしているHostalへ泊まりました。
宿泊先:Hospederia Zacatin
*この行程の注意事項、コメント
① 途中のセキュア(Cequia)にはBarがありませんでしたが、10分程度先のラス・ピリジャス(Las Pilillas)の住宅街にスーパーマーケットがありました。
② 途中の区間には標識などもありアップダウンもあまり無く問題はありません。
モクリン(Moclin)から出発 | ソラナの党(Torre de Solana) |
メンブリージョ(Menbrillo) | 広大なオリーブ畑 |
街へ向けての巡礼路 | アルカラ・ラ・レアル(Alcalá la Real) |
2.4 アルカラ・ラ・レアル(Alcalá la Real)からアルカウデテ(Alcaudete)へ
2018年10月2日(水) 晴れ 23.4Km 40,414歩
Alcalá la Real (07:15) ー Puertollano(08:25) ー Ventas del Carrizal(10:05)
ー Alcaudete Fuente(13:15) ー Alcaudete (14:30)
この時期の日の出は8:30頃ですが日中は暑くなるので今日は早めに出発することにしました。街を出ると相変わらずのオリーブ畑が続いています。 何処までも広がるオリーブ畑に収穫は大変ではないかと心配になりますが、農家の方も朝から畑にでて剪定や下刈りなどのみ作業をしています。オリーブはもともと地中海各地に自生していて古くは紀元前から栽培が始まり、ローマ時代にはスペイン南部で盛んに栽培されました。その後鉄道の発展とともに内陸部へ広がり今日に至っています。スペインは世界の生産量の40%を占めて1位になっています。(ちなみに消費量の1位はギリシャです。)現在はほとんどがオリーブオイル用でこの地域に約26億本あるとの事です。
巡礼路は山間の農道でやや下り坂が続き歩きやすい道です。1時間程度で国道沿いの民家のある所へ出ましたが道端には果樹も見られました。 再び山間の道を歩いて行くと前方に山が見える広々とした場所に出ました。やがて道路(N430)に出てベンタス・デル・カリサル(Ventas del Carrizal)の村に着き、道路沿いのBarで休憩しました。村からやや下ってサン・フアン川(Rio San Juan)の川を渡り、再びオリーブ畑の中を歩きましたが途中にはオリーブオイルの工場が見られました。
やがて道はやや登って水場のあるアルムナ公園(Fuente Armna)に着きました。同行のJavierさんがやや遅れて歩いているのでMikelさんと暫く休憩して待っていました。公園を出ると住宅街になり直ぐに距離表示のある道標に(Santiago)1114kmの記載が有りました。直ぐ左手の坂の下に教会(Cofradia Nuestra Señora Virgen de la Fuensanta)が見え階段を下りて教会の前へ出ます。教会から見事な並木道がアルカウデテ(Alcaudete)の街中まで続いています。 アルカウデテ(Alcaudete)の街は人口約1万との事ですがこの街の中心部の丘にも12世紀に建設され宮殿として使用されていたアルカウデテ城(Castillo Palacio de Alcaudete)がそびえています。この街にもAlbergueは有りませんが、スポーツセンターの一室を提供してくれるとことで今夜は控え室にマットを敷いて寝ることになりました。
宿泊先:Pabellon municipal
*この行程の注意事項、コメント
① ベンタス・デル・カリサル(Ventas del Carrizal)の道路(N403)沿いにBar/レストランがあります。住宅街からサン・フアン川(Rio San Juan)の橋を渡って巡礼路へ戻ります。
② ベンタス・デル・カリサル(Ventas del Carrizal)からアルカウデテ(Alcaudete)の区間はオリーブ畑の中を歩きますが標識が明確でないので注意が必要です。全体的にアップダウンはあまりありません。
朝の巡礼路 | 遥かなオリーブ畑 |
ベンタス・デル・カリサル | オリーブ畑の中を歩く |
アルムナ公園(Fuente Armna) | 聖母Fuentansa教会 |
2.5 アルカウデテ(Alcaudete)からバエナ(Baena)へ
2018年10月3日(木) 晴れ 24.8Km 40,430歩
Alcaudete(7:30) ー 道路(N432) / コルドバ県境(09:15) ー Laguna del Conde(10:20)
ー 道路(N432)(12:40) ー Baena(13:15)
今日はJavierさんは歩かずバスでBaenaへ先に行くとの事でMikelと2人で歩くことにしましたが、今日はBaenaまで約25Kmあるので朝は速めに出発しました。 街の郊外へ出ると相変わらずのオリーブ畑ですが新たに土地を整地してオリーブの苗木を植えている所も見られます。やや明るくなって振り返るとアルカウデテ(Alcaudete)の城跡が高台にそびえています。広大な太陽光発電基地の脇を抜け静かなオリーブ畑の巡礼路を歩いて山道をくだって行くと国道(N432)に出てそのまま道路を歩き小さな県境の橋を渡ります。橋の脇には(コルドバ県"Provincia Cordoba")の道標が有りました。グラナダ(Granada)を抜け此処まではハエン県”Provincia Jaen”です。
橋を渡り国道(N432)からはなれて丘を登ると再びオリーブ畑に入りますが、暫くすると前方に白色の大地が見え始めました。ここはコンデ湖(Laguna del Conde)で貯水池になっているのですがアンダルシアはこの所の晴天で渇水状態になっているため全く水がありません。池を回った所でしばらく休憩してまたオリーブ畑の丘を登り道路(CP-6204)を横断してそのまま歩き、かなり大きな化学工場登の脇を通って道路(N432)の陸橋を渡るとバエナ(Baena)の街がみえます。
暫くバエナ(Baena)の街を見下ろしながら坂を下り街中へ入ります。バエナ(Baena)も人口約2万人の比較的大きな街で高台の上に旧市街地区があり、1292年グラナダ(Granda)のモハメッド二世(Mohammed Ⅱ)時代に建設されたバエナ城(Castillo de Baena)や16世紀の聖マリア・マヨール教会(La parroquia de Santa María la Mayor)等があります。Alberugeは旧市街のパラシオ広場(Plaza Palacio)の裏手にあり、入り口にPenciónと書かれた看板有りましたので併設した宿に思われました。
宿泊先:Albergue Ruta del Califato
*この行程の注意事項、コメント
① この区間の途中にBar等はありません。終始オリーブ畑の中で日射を遮るものはありませんので下記は水分を十分に持参することをお勧めします。
② 国道(N432)へ出てサラド川(Rio Salado)の橋を渡ると右手の巡礼路(農道)に入ります。途中の標識などは完備しています。
太陽光基地脇を歩く | コルドバ県境 |
コンデ湖(Laguna del Conde) | バエナ(Baena)の街を望む |
Plaza de Constitución | Igresia de Santa Marina |
2.6 バエナ(Baena)からカストロ・デル・リオ(Castro del Río)へ
2018年10月4日(金) 晴れ 19.9Km 30,140歩
Baena(07:30)ー 道路(A3125)(09:00) ー 道路(A3127)(11:15)
ー Castro del Río(12:05)
今日の行程はカストロ・デル・リオ(Castro del Río)迄の約20kmで高低表を見るとバエナ(Baena)から5km程度下った所からほぼ平坦な巡礼路の様なので気分も軽くAlbergueを出発しました。今日もMikelさんと2人で歩くことになりました。 バエナ(Baena)の街から道路(N432)を横断して市街地を離れて農道の巡礼路になると今日もオリーブ畑を通る静かな道で暫く緩やかな丘陵地を下って道路(A3135)へ出ます。
道路(A3135)を15分程度歩くと河川敷の広い橋になりグアダルキビル川(Rio Guadaquivier)の橋を渡ります。グアダルキビル川(Rio Guadaquivier)はイベリア半島で5番目に長い川で総延長657Kmあります。名前はアラビア語で”大いなる川”を意味する”al-wādial-kabīr”に由来しています。この近辺まだ上流の為か川幅は狭いですが河川敷は広く昨日の貯水池とは異なり水量は多く流れています。
グアダルキビル川(Rio Guadaquivier)の橋を渡ると道路を離れて川に沿ったオリーブ畑の道を歩きますが時々接近する川沿いには緑も多く和めます。やがて道路(A3127)に出てカストロ・デル・リオ(Castro del Río)の街まで歩きます。
カストロ・デル・リオ(Castro del Río)はグアダルキビル川(Rio Guadaquivier)に沿った人口約8千人の街で12世紀には城壁要塞が建設され、レコンキスタ後の14世紀から市内が整備されてきました、18世紀に建設された旧市街には聖アスシクロ教会(Igresia San Asciclo)等があります。 旧市街は細い路地になって迷路の様でした。家々は白壁で丁度警察署の付近は壁塗りの業者が修復をしていました。 アルベルゲは旧市街の街角にある小さな建物ですが2部屋があり、近くの警察署で名前を記載して料金(5ユーロ)を払って鍵を借りました。
宿泊先: Albergue de Peregrinos
*この行程の注意事項、コメント
① この区間の途中にBar等はありません。グアダルキビル川(Rio Guadaquivier)沿いの道にやや街路樹などがありましたが、前日と同様に水分は持参が望ましいと思います。
② グアダルキビル川(Rio Guadaquivier)の橋を渡って川沿いの道を取ります。(標識あり)
オリーブ畑の巡礼路 | グアダルキビル川を渡る |
カストロ・デル・リオを望む | 狭い白壁の路地 |
Castillo de Castro del Río | Albergue de Castro del Río |
2.7 カストロ・デル・リオ(Castro del Río)からサンタ・クルス(Santa Cruz)へ
2018年10月5日(土) 晴れ 22.7Km 35,999歩
Castro del Río(07:30) ー Espejo(09:35) ー Villa Cristina(11:30)
ー 道路(N432)(11:40)- Santa Cruz(13:15)
カストロ・デル・リオ(Cstro del Río)からコルドバ(Cordoba)まではエスペホ(Espejo)、サンタ・クルス(Santa Cruz)の村を経由せずに直接に歩くルートもありますが、エスペホ(Espejo)は歴史のある村でもあり直接のルートではコルドバ(Cordoba)まで舗装道路で距離も30km以上有るので1日多くなりますがサンタ・クルス(Santa Cruz)経由で歩くことにしました。
今日も予報では天気は良く雨の心配も無いとの事で安心して歩き始めました。今日も巡礼路は相変わらずのオリーブ畑で始まります。丁度オリーブ畑で朝の仕事をしていた農家の方と立ち話をしましたがボツボツ収穫量を始めるとの事で自分の畑では2週間程度で作業は終えるとの事でした。どの様に収穫するのか尋ねると木の下に傘の様な物をセットして機械で木を揺さぶってオリーブを落として収穫するとの事です。今年は雨が少ないので品質はやや不良で収穫前の雨が望まれると話していました。しばらく歩くとオリーブ畑の途中に久しぶりに牧草地が広がっていたのが印象的でした。
やがて前方に高台に聳える城跡と白壁の家々が並ぶのエスペホ(Espejo)の村が見え始めました。城壁には塔が建って壮観な景観を表しています。近づくにつれ頂上の城跡までの標高差は400m程度(実際は418mとの事です。)あるかと思われます。この城(Castillo Ducal)は13世紀に建設され4つの角の塔が城壁を囲んでいます。城は当初はTorres de Pay Ariasと名付けられ、その後に保存と改修により居住可能な建設として残っておりアンダルシア州の建築遺産として登録されています。また、この城に隣接して15世紀に建設されたバロック建築の聖バルトロメ教会(Igresia San Bartolome)がありサン・アンドレスの祭壇画が有名です。
巡礼路は頂上の城まで登るかと思っていましたが、幸いにも街の入口の交差点からから迂回する道路があり村へは登らずに先を急ぐ事にしました。迂回道路の途中にBarがあったので暫く休憩して 再び壮大なオリーブ畑の道を歩き始めました。約1時間程度歩くと道が急に折り返す道路に出て500m程度直線の農道を歩きましたがこの付近に民家などは有りませんが地図から地名はクリスチーナ村(Villa Cristina)です。暫く歩いて行くと前方にサンタ・クルス(Sanata Cruz)の街が見え始めましたが手前にグアダルキビル川(Rio Guadaquivier)がある為大きく迂回して国道(N430)へ出て30分程度でサンタ・クルス(Santa Cruz)へ着きました。今日もアルベルゲは無いので道路(N432)沿いのHostalへ泊まる事にしました。
宿泊先: Hostal Casa Jose
*この行程の注意事項、コメント
① エスペホ(Espejo)にはAlbergue、Bar/ レストランもありますので宿泊して市内を見学するのも良いかと思います。サンタ・クルス(santa Cruz)ではPabellón Municipalへ宿泊が可能との記載もありましたが確認はしていません。
② クリスチーナ村(Villa Cristina)で農道を大きく戻る様になりますが標識がありますので問題は無いかと思います。
オリーブ畑で農家の方と話す | エスペホ(Espejo)の遠景 |
エスペホ(Espejo)の入り口 | 直線の農道を折り返す |
国道(N432)へ出る | サンタ・クルス(Santa Cruz) |
2.8 サンタ・クルス(Santa Cruz)からコルドバ(Cordoba)へ
2018年10月6日(日) 晴れ (25.9Km) バス移動
Santa Cruz(08:30) = Cordoba(09:15)
サンタ・クルス(Santa Cruz)からコルドバ(Cordoba)迄は25Km程度ありますが、此処まで天候にも恵まれて順調に歩けた事とコルドバ7(Cordoba)には多くの見所のある場所も有るので今日は休養日としてバスでCordobaまで行くことにしました。朝8:30のバスがあったのでHostalの階下のBarで朝食を取りバスに乗り30分程度でコルドバ(Cordoba)のバスターミナルへ着きました。
コルドバ(Cordoba)はグアダルキビル川(Rio Guadaquivier)の右岸に位置する人口約30万人のコルドバ県の首都です。ローマ時代は属州ヒスパーニア・バエティカの首都であった。現在でもローマ寺院やローマ橋などの遺跡が遺されています。711年にイスラム教徒に西ゴート王国が征服され756年に成立した後、ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、その中心はモスク(メスキータ)で10世紀に繁栄を遂げました。1236年6月にレコンキスタによるキリスト教勢力ににより征服され、メスキータはカトリック教会の部分が増設されました。また市内のアルカサルはキリスト教徒の王であるアルフォンソ11世によって建てられ、その後も王族の住居として用いられて両建築とも世界遺産に登録されています。
コルドバ(Cordoba)にもAlbergueは有りませんが巡礼者向けのHostalがありそこへ泊まる事で前日に連絡しておきました。宿は旧市街の便利ながら所にあり荷物を預けてメスキータやローマ橋など市内の名所を見て回りましたが日曜日為か何処も観光客で賑わっていました。 コルドバ(Cordoba)の巡礼路の出発地点はサンティアゴ教会(Igresia de Santiago)でローマ橋から東へ1.5km程の所にあります。夕方に場所を確認するため見に行きましたが教会へは入れませんでした。夜はライトアップされているローマ橋の沢山の観光客が出ていました。
宿泊先:Hosta Arcazar
ユダヤ人街 | ユダヤ人街の庭 |
メスキータ | 水車の遺跡 |
ローマ橋 | Hosta Arcazarのご主人 |